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  • taihukai2004

山奥の鬼女の透徹した美しさと清冽な悲哀感を舞う


「真の山姥をば如何なる者とか知らしめされて候ぞ」


山姥とは

山に住む鬼女とこそ

見えて候らへ


「鬼女とは女の鬼とや

よし鬼なりとも人なりとも

山に住む女ならば

わらはが身の上にてはさむらはずや」


「」内は シテ 女(後シテで山姥となり現れる)の言葉です


私個人の内面に棲む「鬼女」は


舞いながら

狂わんばかりの時も


謡いながら

風に乗り 悲しみを背負う人に向かう時も


様々の山姥を追いかけながら

そして追いかけられながら

 となって日を送っています


この舞手は

その途上にいます


身を削るような時間の間隙を縫うように

ギリギリの思いで

稽古にやってきます


私も心を鬼にして

舞台の板の上で

本物の鬼女に近づけようと

丁々発止

迫っています


限られた時間

限られた人間の命


その中で

何が表現できるのか


勝負だと思っています


  愛媛県文化祭 泰鳳会

  「能管の調べと仕舞五題」より

    山姥





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