敦盛
いよいよ佳境に入ります
平家物語巻9 敦盛の最期
を
座学では
原文、口語訳
両面から読み解き
熊谷次郎直実の思いの軌跡を辿りました
最後
熊谷に首を掻き切られた
亡骸の腰からは
錦の袋に入った「小枝(さえだ)」の笛が出てきます
如月6日 敦盛の死の 前日の宴
敦盛もこの小枝を奏でたのでしょう
舞を舞い 謡を謡い その時の小枝です
これを継ぎ目に
能 世阿弥作「敦盛」は始まります
亡骸から浮かみ出た敦盛の霊魂が
出家した熊谷次郎 「蓮生」を通して
私達に語り始める
世阿弥の敦盛の始まりです
16歳で人生を閉じた少年が
何を訴えるのか
笛の音と共に蓮生の前に現れた草刈り男は
貧しく孤独で
在原行平の和歌がそのままの
須磨の浦の生業を謡います
決して貴公子の身分ではありません
世を捨てた蓮生との会話は
ひたすら 念仏 すなわち
仏を思う 仏に向かう心を
確かめ合い
そこに救いを求めようとする
これが浮かび出た
「侘しい」「憂き」霊魂が
蓮生と交わした対話でした
敦盛は更に救われようと
蓮生に向かって懺悔を始めます
このあたりで
逆説 と思う方もいるかもしれません
実際 座学の教室では
宇和島のMさんから
この質問も出ました
謡を入れながら
敦盛の思いを聞かせながら
そして
仏教の難解な言葉を読み解きながら
私は先に先に講義を進めていきます
逆説?かも
と思われた敦盛の懺悔は
どこに行き着くのでしょう
もうすぐ
能 敦盛
は終結を迎えます
答えはすぐ近くにあるのです
私たちの身近に。
座学[敦盛]の私の講義の締めくくりは
能「敦盛」の
最後の舞いの画面の奥に垣間見える
この答えを現す敦盛の有り様を観、
敦盛の舞の
緊迫感と共に消えていく
存在感 霊魂
を
視覚として共有してもらいたい
と思っています
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