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若女−能面の中から

  • taihukai2004
  • 6月21日
  • 読了時間: 2分

更新日:6月22日

今月末に

 『杜若』

を舞います

おもて(能面)は 「若女」です


能面をつけると

途端に視野は狭められ

意識は

無限に

集約された空間に放り込まれます


そこにあるのは

他者の姿でも

自分の姿でもない


ただ

杜若の精

主体 が見ている

業平であり 高子皇后であるのです


そして

おもての中で息づき始めるのは


「杜若の精」と同化する業平

また 一体化する高子皇后

です


遠く去った業平を思い

都に袖を翻す「杜若の精」の心

も しかり…



そこから

私は


「草木に与えられた露としての仏事」

すなわち

歌舞の菩薩としての業平を

の存在として表すために


威厳に満ちた舞姿

で舞わねばなりません


それら全てが

私一人の全存在に吸収され

能の舞台に

放出されねばならない


昔男」となり

濃紫の杜若」となり


そして

昔男に愛された「高子皇后」となり

世のを紡ぐ「歌舞の神」となる


私は

神の威厳を持って舞うし


一人の女性として

遠く去ったひとへのうらみ

込めて舞うし


業平に終生愛され

お互いに実らなかった愛を抱き続けた

高子皇后で

舞います


そのあと


「植えおきし の宿の杜若

ばかりこそ なりけれ

ばかりこそなりけれ

色ばかりこそ」


それは すなわち 全ては


蝉の殻 蝉の唐衣

で、あったこと



」を

昔男」を愛した

杜若の精の「生の軌跡」は


『蝉の唐衣』

唐衣の袖を広げ

舞台の真ん中で


渾身の思いを込めて

謡い

蝉の殻である

唐衣の袖を見せること

見ること


これが

私の舞の頂点です


杜若の花の色が

濃紫から花紫に

そして

浅紫となり


周囲の景色は


唐衣の袖は白妙

それは卯の花の雪のような

夜もまた白々と明けていく


その純白のなかで

東雲の空に

薄紫になって消えていく杜若の精


この消滅の美しさを


世阿弥

草木国土悉皆成仏

仏の手を差し伸べて救い

見せてくれました


蝉のから ころも


で あっても

決して

それが全てではない


「昔」はもう私には

帰らないけれど

それは決して

否定されるものではない


このメッセージを

私は

湊川神能殿舞台で

伝えたい


 『杜若』を

私の「」全てを込めて


令和5年8月28日

神戸湊川神能殿舞台において

舞ってみようと思っています


在原業平生誕1200年

昔男」も

ご覧になられますでしょうか?


 
 
 

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