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taihukai2004

知覧を歩くー座学 平清経

更新日:10月15日

特攻隊の青年たちの写真を

一枚一枚

丁寧に見て歩きました

手記 手紙 

語り尽くせない文章の数々


弔いの灯籠

その人たちの数だけ

整然と並んでいました


まるで

出撃前の隊列のように

白い軍服姿で挙手の礼で立っている

幻影

灯籠と二重写しとなって

私の目に焼きつきました


座学で「平清経」を学びましたね


次回の座学では

各自の思いの丈をレポートにしたためて頂き

自由に時を忘れて

話して頂きます

時間の制約は有りません

最低でも10分以上

借り物ではない自身の言葉

絞り出してみて下さい


八百年以上も前に

苦しんで入水した青年がいました


平清経 といいます。


戦う ちからも 気力も失せて

しかし


この世に生きた名残

最期

大好きな横笛を奏で

大好きな謡を 月に向かって嘯(うそぶ)き

波に揺られる船の上で


「この私をお迎え下さい」


と 合掌した青年がいました


宇宙から照らすの光が

清経をつつむ中

彼の視界全てが地球の、

の上で


西方浄土に向かって手を合わせ

清経は

静かに九州の海に沈んでいきました


20歳


ほぼ同年齢の知覧青年たち


彼らがしたためた手記や手紙の横に

釈迦如来始め 仏の数々の絵や写真も

セピア色に変色して並べられてありました


それらは彼らの遠く手を差し伸べた所を示し

そして最後の拠り所 生きた軌跡を現す形見として


若々しい写真の下に

それらは

さりげなく置いてありました


戦いに身を投ずるという事


それは

正義の名の下に

国のため

または


平家のため

に命を投げ出すという事でしょうか


しかし

一人一人が求めるものは


大切な人であり

大切な音色であり

脆弱と非難されようとも

自分の大切に思っている

拙い生き方

だったのかもしれません



世阿弥は

源平盛衰記巻三十三の話を

彼の『清経』には挿入しませんでした。


清経が

西国に落ちていく旅の途中

妻に自分の形見として鬢の髪をおくり

彼の思いを伝えようとしたこと


しかし妻は

三年の年月の音信不通に業を煮やし

その髪を清経に送り返し


見るからに心づくしのかみなれば

うさにぞ返すもとの社に


と和歌も添えて送ってきたこと


『これを見たまひては、さこそ悲しく覺しけめ』


清経は

それを悲しみながら見つめていた事


この話を 世阿弥は

能『清経』に入れておりません


ひたすら

大好きな笛の音色と謡の響き

船の上で 月の光の中で

一人で堪能して

それから

清経はこの世を去りました


妻への恨み言もなく

ひたすら自分の思うままに

最期の時間を

世阿弥は清経に

自分のためだけに、過ごさせたのです


彼の鬢の髪は

その後

遺髪として妻に届けられた


冒頭の話として

能 『清経』のプロローグとして

世阿弥は触れていました


一方

平家物語の中の 清経は、というと

彼についての事は殆ど取り上げられていません


平家物語巻八 並びに 灌頂巻


『小松殿の三男左の中将清経は、もとより何事も思い入れたる人なれば、「都を源氏がために攻め落とされ、鎮西をば惟義がために追いいださる。

網にかかれる魚の如し。いづくへゆかばのがるべきかは。ながらへはつべき身にもあらず」とて、月の夜 心をすまし、舟の屋形に立ちいでて横笛音取朗詠して遊ばれけるが、閑かに経読み念仏して、海にぞ沈み給ける。男女泣き悲しめども

甲斐ぞなき』


これが

清経を扱った平家物語の全てです。


知覧の海から飛び立った青年たちは


母を 仏を 愛するものを

念じながら

突撃し果てました


その日よりもずっと前、

今から六百年以上も前


世阿弥は私達に

彼の『清経』をとして

として

届ける事で

何を伝えたかったのでしょう


平和でしょうか

命の尊さでしょうか


勝つ事

人の上に立つ事

強い事

勇ましい事

英雄であること

でしょうか


江戸時代

清経は取るに足らない いくさびと

として軽蔑されておりました


笛を愛する

音色に惚れる

心をそこに遊ばせる

芸術を愛する

それを唯一無二の人生と思う


そういうひとを

弱い 世の中に対応できない存在だと

誰が非難できますか


そういう時を生き

そういう生き方を

自由に謳歌したかった

八十年前の青年たちが


私が伺ったあの晴れの日


どこまでも澄み渡った

秋の

知覧の空に浮かんでいました


弱くて良いのです

取り柄がなくても良いのです


平和である日本

それは絶対でしょう


しかし

その前に


自分個人それぞれの生き方がある


それを許容したい

周囲はそれを認め、

弱さを抱きしめて

共存し得る世の中であって欲しい


そう思いながら 私は


世阿弥の完成させた

 清経

を振り返っています


私は

この時代を生きるひとたちに

世阿弥の視点を伝えたい…


私個人の恣意的な思いを


座学 清経


の講義の終わりに

申し上げました。



私のいとしい家族は

二時間ばかり

この場所で

私を一人にさせてくれました

何も言わずに。


知覧は

鹿児島の旅で

私が一番行きたかったところ

でした


飛行機の時間も迫る中

本当にありがとう


過ぎ去りし去年の

いとしい秋の旅を思い返しながら


心より感謝します



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